ちょっとあまりにエモい気分だから聞いてくれ
今日はいい日だな。小山さんと石原さとみちゃんの2ショットはとてつもなくかわいかったし、連日降り続いた雨も今日はちっとも降らなかった。
それに「生まれ変わっても嵐になりたい」だなんて、ちょっとまえの私だったら、危うくぽろっと涙こぼしてたような。そんな、夢みたいな言葉を櫻井さんが口にしてくれた。
もう今の私はその言葉に涙をこぼすことはないけど、そのかわりに"好きだな"と思ったよ。
2012年くらいかな。櫻井さんが「可愛い」と言われることに悩みだしたくらいから、呼び方を櫻井さん、もしくは翔さんに変えてたんだけど、久しぶりに「翔ちゃん」って呼びたくなった。
嵐の関係性って「嵐」って呼び方以外の言葉じゃとても言い表せないんだよなあ。何か久しぶりに櫻井さんを翔ちゃん呼びしたいなって思ってるよ~~~~。
— うに (@colorful2311) 2017年8月23日
二宮くんが甘えた口調で「しょおちゃんはさ、」って言うのが好きで真似しはじめたんだっけ。
今くらのあと、何となくそれもまた久しぶりに最初から風景のドームを再生したら。まだ最近のことみたいな気がしていたのに、懐かしくて、ああ本当はもうこんなに時間が過ぎていたんだなあって。
だってもう7年も前なんだもん。そりゃあ変わるよね、嵐も、私も。
明日がきてしまうことがこわくてならなかった。あのころ嵐の手に支えられて何とか立っていた私は、いま、その手をとらない。
この手は別の、まだまだ弱いかもしれないけど、とてもやさしい手と繋がっている。
あのころ私は私なりに嵐を精いっぱい応援しているつもりだったけど、振り返ればいつも貰ってばっかりだった気がするな。おかげで強くなったと思う。寄りかからなくたって立てるように、歩けるように、嵐がいつも笑ってくれたんだ。
そう思ったら、今度は少しだけ、泣きたくなった。
そうやってただひたすら嵐を追いかけていた毎日も、現場に行かない身でも分かった「これから何か凄いことが起こるんだ」って時の言い知れない高揚感も、それらが何もかも報われたみたいに感じた、初参加のコンサートの感動も。
人生で初めて買ったCD、サンタさんにねだったDVD。それを開けるときのドキドキ感。
ぜんぶぜんぶ、本当はわすれたくないけどさ。
でも、いつか嵐に会った回数を、NEWSやほかのグループがこえる日がきて。もしかしたら、嵐を好きでいた時間も、こえるかもしれなくて。
そしたら、忘れっぽい私は覚えてられるかな。
はっきり覚えてられなくてもいいから、頭の隅にでもずっと残ってゆけたらいいなあ。
後悔はしてないし、好きでいられなかった。そう思うと襲ってくるこの少しの寂しさも、それでも確かに好きだったのだという証のような気がしてきらいじゃないから、出来ればこの感覚も一緒に。
戻れるはずもない日が愛おしいよ でも明日も僕達を待っている
何処へだってまだ行ける
(Still...を見てエモい気分に取り憑かれたオタクのポエムでした)(暑さと妖怪のせいなのね)(???)