どうせ明日も好きなんだ

NEWSと二宮くんが主食。楽しくいこう、きみたちと。

明日を迎えに行こう

 

その「報告」を目にした時、確かに息が止まった。

そのあと、身体中の血が感情と一緒にもの凄い勢いで駆け巡るのを感じて、電車内なんだから泣く訳にいかない、という常識的な思いとは裏腹に、目頭がどんどん熱くなって。感情は名前を付ける作業を待たずに、ただ目から零れ落ちていった。

ああ、もうおしまいだ、と思った。

私は小学生の頃から精神疾患を患っている。いまは常用薬もなくなり基本的には問題ないけれど、小学生から中学生当時の私は、このまま何もしなければまた自分に明日が来てしまうという現実がたまらなくこわくて、申し訳なくて、自傷行為を繰り返すような子どもだった。もう本当にこの世から消えてなくなりたいと考え、何度も何度もその方法を調べたし、実行に移す寸前までいったこともある。

だけどそんな時、かならず頭に浮かんだのは、もっと小さい頃から大好きな「嵐」の存在だった。

嵐の楽曲を思い出すたび、5人の笑顔を思い出すたび、「ごめんなさい死にたくない」と思った。もっともっと先の嵐を見てみたかったし、いつか胸を張って会いに行きたかった。それだけを希望にして、あの当時の私は何とか息をしていたのだと思う。

嵐は私のヒーローで、希望で、神さまで、原点で。私という人物を構成するすべてが詰まったグループだった。

それは私が応援する主軸を別のグループに移動させても、身勝手に一度離れることを決めた時も、絶対に揺るがない、変わらないもので。

だから、そんな「嵐」がいなくなるなんて私には考えられなかったし、そんな世界でどうやって生きていけば良いのかも分からなかった。

 

確かに私は、去年久しぶりに会いに行った公演でこれ以上ないくらいの満足感と多幸感を感じて、離れることを決めたその時とは全く違う思いで「二度と会えなくても構わない」と思ったし、and moreでもう一度だけお祝いしたら、それを最後に嵐の現場から卒業しようと考えていた。けれどそれは、嵐は「嵐」としてこれからも歩んでいってくれるんだ、ということが大前提で、その背中を見守ってそっと応援していけたら、という意味に過ぎない。5人がいなくなることは、雲の一欠片だって想定していなかった。

失いそうになってから気付いても遅い、永遠なんてないんだから。2018年そんな思いは散々経験したはずだったのに、性懲りも無く私は、まだ永遠を信じていたんだと知った。

 

 

もう何もかもに悲しみがついてまわった。いなくなってしまうことはもちろん、FC会員に向けられた5人の言葉も、街中で流れる別グループの楽曲の歌詞も、こんな時ばかりツアーバッグを使っている人がたくさんいることに気付くのも、普段だったら笑って過ごせるようなことも、記者会見の様子を綴った記事から彼らがあまりにも「嵐」であることが伝わってくるのも、こんなに苦しいと思うのに、それでももう一人の自担を見ると「やっぱり好きだ」と思ってしまって、オタクも人生も辞めることができない自分も。

でも記者会見を映像で見たら、ふと感情高ぶって泣いてしまうんじゃないかというような瞬間はあったけれど、5人とも迷いのない笑顔で、誰かが困った時にはかならずフォローし、その場を盛り上げる、今までずっと見てきた彼らと変わらない姿がそこにあって。

この5人はこんなに「嵐」なのに、こんなにそれを愛しているのに、それでも決断したんだなあ、ずっとずっと悟らせないで来たんだなあと切なくなるのと同時に、私が信じて応援してきた「嵐」は、何にも揺るがず今日もこれからも存在しているんだと思えて、少しだけ前向きになれた。

それは「悲しい」よりも「寂しい」の数が増えたとかその程度のものだったけれど、今日はたくさん泣いて翌日からはなるべく今まで通りに生きていこうと決めたし、ときどき崩れてしまうことがあっても、それができるくらいの強さはもらったような気がした。

 

ただこの時点では、「嵐」をいつまでも宝箱の中に残しておくために活動休止というかたちをとるだけ、という風に見ることもできて、よく「嵐に還元できないなら個人の仕事も意味がない」と口にする自担が、2021年以降もお仕事をしてくれるのかとか。帰ってきてくれる日が本当にくるのか、それを待っていることが5人の重荷になったりしないかとか。不安に目をやれば、どこまでも落ちていきそうな綱渡りだった。

 

けれども、昨日。NEWS ZEROに出演した翔くんの口から出たのは、「一時的に」「(復活)ありますよ」という言葉だった。不確定な要素を一切含ませない、聞いた人全員に確信を持たせる、持たせてしまう圧倒的な明言だった。

会見でも発言していたように、活動休止後のことは現段階で何も決まっておらず、先行きは不透明なのだと思う。けれども、ずっと言葉を大切にしてきた、思慮深く賢い”櫻井翔”が、生放送の報道番組というあの場で明言してくれた。つまり先のことは分からないけれど、いつか大野さんが「戻りたい」と思えたら、その時には復活させる意思が確実に5人の中にあって、それまで「嵐」を守るために個々の活動もしていく、という意味なんだなぁと感じた。

それなら、私は信じて笑って待っていたい。寂しくて泣いてしまう夜もきっとあるけど、嵐がただいま、と笑う時に胸を張って「おかえり」が言える自分でいたい。

 

2年間の猶予、再会の約束、全く察知させることなく、こちら側に変わらぬ夢を見せ続けながら準備を進めてくれていたところ、心は変わらず同じ場所にあるのだと言葉にしなくても十二分に伝わるところ、「20年を嘘にしない」という言葉通り、嵐の形を疑う余地はどこにもなくて。何もかも完璧で素敵で、好きになって本当に良かったと思った。

 

こういうことは、当然またあるんだと思う。私はそのたびにやっぱり嫌だと駄々を捏ねて、きっと泣いてしまうんだろう。だけど今回の件で、言い聞かせるでも諦めでもなく、それで良いんだと思えた。

アイドルは人間だ。私も人間だ。等しくそれぞれに人生があって、何が起こるかは誰にも分からない。焦がれるような恋も愛も、寂しいお別れも嬉しい再会も、人生には付きもので、私たちはその一部を共有している。だから、楽しいことがあるぶん苦しいことがあることも当たり前なんだと思う。

だからせめて、ほんとうに「ばいばい」するその時まで、ありったけの愛をとどけたい。後悔しないことなんてたぶんできないけれど、いつか振り返った時に、良い思い出になっているように。

 

次に湿っぽくこの話をするのは、2020年12月31日だといいな。私はきっとまた泣いて、でもやっぱり5人の道を応援したくて、また会おうねって約束を交わしたくて、黙っていられないだろうから。

それまでの約2年間。ほんの少しお休みしていた分も、私はめいっぱい嵐と楽しみたいと思う。

そして、いつの日かみんなで「久しぶりだね」って笑って宝箱の蓋を開けるときを心待ちにしながら、自分のいのちも含めた嵐がくれたすべてのものを大切にしながら、ちゃんと生きていきたい。

 

私に明日をくれてありがとう、ここまで連れてきてくれてありがとう、こんな時にも笑顔と勇気と強さをくれて、ほんとうにありがとう。

思い出の後先を 考えたら 寂しすぎるね

騒がしい未来が向こうで きっと待ってるから

走り出せ 走り出せ 明日を迎えに行こう

君だけの音を聞かせてよ 全部感じてるよ

止めないで 止めないで 今を動かす気持ち

どんなに小さなつぼみでも 一つだけのHappiness

どうか5人の進む道に、幸せと希望が満ち溢れていますように!!!!!